義理親と同居生活をはじめようと悩んでいる方、もうすでに同居生活はじめている方いらっしゃいますか?
私は義理親と完全同居(水回りすべて一緒、一つ屋根の下)の生活を2年半していたので義理親との同居がどんなものかよく知っています。
義理親との同居生活がすべての原因ではありませんが、私は結果的に夫と別居、離婚し現在シングルマザーとして生活しています。
私と同じように義理親との同居生活で悩む人が少なくなればいいなと思い、同居生活で経験したことを書かせていただきました。
結婚して即、義両親と完全同居。同居の決断はすぐにしちゃダメ!
27歳で結婚、出産。
そして・・・
元夫の両親と完全同居生活がはじまりました。
というのは、元夫の親が65歳を過ぎていたため家のローンが組めないという理由で、元夫名義で住宅ローンを借入をして家を建てたらしいのです。
結婚当時、家は築5年。間取りは3LDK。
結婚当時、義両親の年齢はすでに70代後半。私は実家でおばあさんと一緒に暮らしていたこともあり、年寄りと住むことにそれほど抵抗もなく感じていました。
結婚前に何度が元夫の家に遊びに行った時も
「おとなしくて良さそうな両親だから上手くいきそう!」
私はそう思い込んでいました。
ところが生活を始めてみると違うんですね。
生まれ育った環境、境遇が違う人たちと住むことの大変さを少しずつ知ることになりました。
義理親の過干渉ストレスだらけの日々
義理親との同居生活中いろんなエピソードがありましたが、ほんとに序の口レベルの話ですがエピソードを3つ紹介します!
エピソード1
とある日のこと、子どもと家の前で遊んでいると何か視線を感じました。
窓の方に顔を向けるとジーっとこちらを義父が眺めていました。
孫かわいさに、遊んでいる姿を見るのは良いですが、目があった瞬間あからさまに姿を消したのです!行動が気持ち悪くて、とても家族になろうとは思えませんでした。
義父だけでなく義母も同じような行動をしょっちゅうしていました。
リアル「家政婦は見た」状態でした。
監視される生活はとても息苦しく、理由をつけては家にいる時間が少なくなりました。
エピソード2
元夫が友達と飲みに出かけたときがありました。帰宅時間は深夜になると事前に私に話があり、帰るときには私の携帯に連絡するということになっていました。
子どもが寝た後、リビングに行くと、義母がうたた寝をしていたので、早く寝るように話をしたら
「〇〇くん(元夫の名前)が帰ってくるまで起きてるから。前なんて、玄関で寝ちゃったから・・・。」
その時点で何時に帰ってくるか分からなかったので
「携帯に連絡が入ったら私が起きて対応するから大丈夫だよ。」
と何度も何度も言ったにも関わらず、結局元夫が帰ってくるまで義母は起きて待ってました。時間は深夜2時を回っていました。そんな出来事は毎回続きました。
義母は老年性の不眠なのか、なかなか寝付けないらしく、いつも深夜1時頃に寝ていました。義父は夜9時に寝て朝方3時に起きるという生活!!
子育て中の私とは、完全に生活サイクルが違いました。24時間監視体制抜群の環境で私の心は休まることはありませんでした。
エピソード3
元夫が体調が悪く会社を休むことになった日のこと、
「〇〇くん休むって会社に電話を入れておいてあげてください。」と、義父が私に依頼してきました。
ハーーーッア!?(怒)
「小学生じゃあるまいし、本人が電話するべきでしょう!!重病だったら別だけど(元夫)会社で笑いものにされるわ!!」
そう強めに義父に言いました。
義父は「そうですかねえ。(ニヤリ)」と言って、息子が心配なのかソワソワしていました。
義父もサラリーマンだったはずなのに、よくもそんな小さな子どもに対して言うような言葉が出てくるな!価値観の違いというか・・・幼児扱いをいつまでもしている義父がすごく気持ち悪くなりました。
悲劇のはじまり
子どもが生まれて半年後、元夫は仕事中にケガをしてしまいました。
結果、約5年間仕事復帰できず自宅で療養生活を送ることになりました。
(※ケガということですが、詳細の症状は伏せさせていただきます。)
自宅療養中のストレス発散という名目で、元夫は次第にオンラインゲーム漬けになっていきました。
時間を決めてゲームをやるという約束ではじめたはずなのに、ゲームの楽しさにのめり込んでいき、昼夜逆転の生活がはじめました。
オンラインゲームというものを私は知らなかったので、趣味程度でゲームをすることを認めていましたが、チャットやイベント、ゲーム内の仲間たちと集まって敵を倒すというオンラインゲームの世界が元夫の中で最高の居場所になっていきました。
子育て中で専業主婦として家にいた私。ケガの治療のため仕事には行けずゲームばかりしている元夫。
子どもと遊ばず、ゲームの世界の人たちばかり交流する元夫。ALSOKばりの監視体制の過干渉な義両親。
毎日こっそり時間を見つけて夜に、実家の母親に泣きながら電話をしていた日々でした・・・。
イラだちから動悸が止まらなくなったり、涙もろくなったり、何のために結婚したのかすべてが分からなくなっていきました。
同居解消のために仕事をはじめた
私は1歳になった子どもを保育園に預け、義理親との同居生活を早く解消したいという気持ちと家計の足しになればと仕事をはじめました。
仕事から帰ると、子どもの面倒をみているのは義両親たちでした。
夫はというと、ゲーム仲間と約束しているという理由で、そそくさと自分の部屋に戻りコントローラーとキーボード片手に「おかえり」と私に声をかけることが度々ありました。
なんのために私は仕事をしているんだ・・・
こんな生活一生死ぬまで続けるのか・・・
しかも親は高齢だし介護要員になってしまうのか・・・
いろんな気持ちがグルグル駆け巡っていました。
義理親との同居のストレス。仕事に行けずゲーム依存の夫。喧嘩が絶えなくなり私の精神状態はグチャグチャになっていました。
結婚っていったい何だろう・・・
結婚すれば「しあわせ」になるんだ!
と夢をみていたらしい・・・。
お互いを労わり合う気持ち
健全な家族関係
経済的、精神的自立
良い意味で気を遣いあう
これがなければ夫婦どちらか一方は不満を溜めることになります。
「子どもが生まれれば、夫は変わってくれる!」私の大間違いでした!!
根本的に人って、よっぽど自分自身が変わろうという自覚がなければ変わることってないんですよね。
私は色んなことに期待し過ぎていました。間違っていました。
「しあわせ」とは何なのか・・・
毎日毎日「しあわせ」とは何なんだろう?結婚して子供が生まれてこれって幸せのはず。だけどなんか違う。
ずっとずっと考え続けました。
これからの長い人生、山あり谷ありあると思いますが、自分なりに考え模索した結果、ひとつの答えに辿り着きました!
人生を終えるとき「あ~、しあわせな一生だった。」
そう思える人生を進んでいこうと考えるようになりました。
すべての答えは死ぬ瞬間そう思えるかどうか、自分の人生をかけてみようと思いました。
夫と義理親たちと、これ以上一緒に居たら自分はこころが死んでしまう。
一緒に生活していた2年半、こころがずっと叫んでいました。
家を出る
年末年始で実家に帰省するタイミングで、結果的に別居生活がはじまりました。
仕事を持っていたので、別居生活を送るとなると通勤距離があったので通うことができなくなる。保育園はどうしよう・・・いろいろ悩んでいました。
そこで母親に
「んなもん会社なんて辞めちゃえばいい。代わりはいくらでもいるから。あんたが鬱になったら子育てなんかできないでしょう。」
そう言われたことで、すべてのことに腹が決まりました。
年明け早々、実家から会社に出向き、上司に事情を話して辞める手続きをしてきました。保育園にも退園することを話し、しばらく実家に身を寄せることになりました。
会社には突然辞めるようになってしまい迷惑を掛けてしまいましたが、心から話したことで誠意が伝わったようで納得してもらえました。
保育園は、子どもが楽しく慣れはじめた頃だったので、親の都合で振り回してしまったことにすごく胸を痛めました。申し訳ない気持ちと家には帰れない帰りたくない気持ちでぐちゃぐちゃでした。
同居を簡単に決断しないで!じっくり考えてから結論を出しましょう。
私はこのような経緯を経て元夫との別居生活がはじまりました。
同居自体を完全に否定するつもりはありませんが、生活をはじめると小さな考え方のズレ、時間、食生活などあげたらキリがないような違いが出てきます。
それぞれ生活スタイルが違うので一概に言えませんが、親が元気なうちは同居を即決する必要はないのかなと私は思います。
1度一緒に住み始めたら同居解消するまでに親、もしかしたら、旦那さんとも揉めることになるかもれません。
これだけは言えます!同居はストレスの塊です。
義理親とお嫁さんがお互いに譲り合ったり優しい気持ちを持ち合わせていなければ、家に帰ることさえ辛くなります。
よく考えて同居の決断をすることをおすすめします。